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トップページ評価の基本評価のQ&A人事制度の基本有名人の評価言いたい放題掲示板

      言いたい放題 7  
     31.仕事と作業  
     新入社員研修でいつも「会社に入って作業をするな。仕事をしよう」といっている。
作業は言われてことを言われたとおりに行うこと、そのやり方を覚えてその通りに行うこと。仕事は目的を考えて、その目的に合うように行うこと。言われたことはもちろんするが、それ以上に目的を考えて行うことが仕事である。

 例えば、「この書類コピーとって」といわれて、ただコピーするだけは作業。誰でもできる。作業ロボットであり、代わりはいくらでもいる。その書類の内容をみて、お客様に送るものだとわかった、たまたま汚れがついている。これを修正液で修正してからコピーをとる。これが仕事。

 仕事には必ず目的がある。その目的を考えて、その目的に合うようにするのが仕事。そして、仕事をする人は存在感がある。いなくてはならない人材になる。作業している人は別に誰でもできる。代わりはいくらでもいる。ロボットでもできる。

 会社に入るなら、作業ロボットではなく、人間として仕事をして欲しいものだ 

 
     32.カンニングの勧め  
   

 テストでカンニングをする。いけないことである。テストとは本人の能力を測定するために行うものであり、独力で行ってはじめて測定できる。カンニングしたのでは、正確に測定できない。
 仮に独力で60点しか取れなくても、そのままにしておかなくてはならない。カンニングして100点にすることはいけない行動である。当たり前のことである。

 それでは仕事でのカンニングはどうであろうか。
仕事の目的は成果を上げること、100点を取ることである。
仮に、独力で60点しか取れないとしたら、人に聞いても、応援をもらっても100点を取らなくてはいけないのである。一生懸命やったのだから、100点取れなくてもいいや、なんていうのは責任性がない証拠である。
一旦引き受けたら、カンニングしてでも100点を取る、これが仕事である。
仕事におけるカンニング(人に聞いたり、応援を求めること)は決して不正ではない。
 新人や不得意な仕事をするときは、逆に必要なことなのである。

 
     33.人生の連続性  
   

 人生は連続している。突然変異で人生が変わるということはめったにない。
今日の自分は、過去の自分の行動の結果によってなりたっている。
あの時、あの子に声をかけたから、今の妻と一緒に生活しているわけであるし、あの時、英語の勉強をしなかったから、このような仕事をしているのである。
過去のあの行動が今の自分を作っているのである。

 そして、同じ様に今の自分の行動が将来の自分を作るのである。
将来、こうなりたいという夢や希望があるならそれに見合った行動を今しなければ実現しない。
今と同じ流れで、今までと同じ様な行動をしていれば、将来も今と同じ様な将来になって
しまう。
自分は今と同じままなのに、「いつか、星の王子様が現れて、幸せにしてくれる」な
んていう妄想は、決して現実にはならない。
自分の将来は自分が作るものであり、決して他人が作ってくれるものではない。

 
     34.時間単価  
   

 新入社員で給与15万円であっても、会社としてのコストは、社会保険料の会社負担分や退職金の積み立て、賞与の月割り分、教育研修費、健康診断料、通勤費などを考慮するとその1.7倍位かかっているといわれる。
これを月の労働時間で割り算すると
 15万円×1.7÷173時間÷60分=24.5円/分
  となる。
 すなわち、新入社員
1分あたり25円のかかっているということだ。

ということは、一人1分あたり25円の付加価値を生み出してはじめて、会社に損害を与えないということになる。

 1分間ボーとしていると、25円づつどぶに捨てているのと同じである。実際のお金をどぶに捨てる人はいないと思うが、目に見えない時間はつい無駄に過ごしてしまうことがある。しかし、それは1分につき25円どぶに捨てているのと同じことである。

昔から、一人前の社員というのは自分にかかる人件費の3倍稼ぐといわれる。
1
分間位25円×3=75円 以上の付加価値を上げるためには、何をするか。
また、そのためにどんな能力が必要か。
それを自覚し、実践できる人が会社に貢献しているのであって、それができない人は、お荷物といわざるを得ない。
お荷物の集団はいずれ消滅してしまう。
 高い付加価値の生み出せる集団になっていこう。

 
     35.仕事は仕事、遊びは遊び  
   

 若いころ、上司から「仕事は仕事、遊びは遊び、ケジメをつけてやれ」と言われたことがある。
 その時はそんなものかなと思っていたが、最近どうも引っかかる。確かに仕事と遊びはちがうのだから、区別して考えることは必要である。
 それをあえて言うということは、その根底には、「仕事はつらくて嫌なもの、我慢してやれ。その分遊びで発散しろ。」というよな意味があるように感じる。
 本当にそうだろうか?
 もし仕事がつらくて嫌なものだったら、普通、寝ている分を引いた人生の半分は仕事をしているわけであるから、人生の半分がつらくて嫌な人生になってしまう。

 そんな馬鹿のことはない。仕事は仕事でおもしろい、遊びは遊びでおもしろい。そのおもしろさの質はちがうかもしれないけれど、どちらもおもしろい、と考えたほうが人生楽しいのではないだろうか。

 家事も含めて、男も女も仕事とは切っては切れない縁がある。社会にかかわるという意味で、お金のある無しにかかわらず、一生仕事を続けるであろう。その仕事がつらくて嫌なものだったらこんな不幸はない。